スズキの社長や会長を務めた鈴木修氏(94)が25日、亡くなった。1978年の社長就任から約40年間で、スズキの売上高を10倍以上に拡大させるなど、トップとして優れた手腕を発揮した経営者だった。(中村徹也)
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鈴木修氏の社長時代に発売され、スズキの躍進を支えた初代アルト=スズキ提供
鈴木氏は48歳で社長に就いた翌年、軽自動車の「アルト」を47万円という破格の値段で発売して大ヒットさせた。93年には背が高い軽の先駆けとなる「ワゴンR」も世に送り出し、軽自動車という日本の独自市場でのスズキの成長に大きな役割を果たした。社長就任当初、3000億円規模だったスズキの売上高は、会長退任後の2022年3月期に3兆5600億円となり、24年3月期には初めて5兆円を突破した。
最大の功績はインドへの進出だ。1983年から生産を始め、文化や風習が異なるインドで日本式経営を浸透させた。同国でのシェア(市場占有率)は現在約4割で、首位に立っている。
国内外での連携も積極的で、81年には米ゼネラル・モーターズ(GM)との資本提携を発表。記者会見で「GMという巨鯨にのみ込まれてしまうのでは」と問われると、「スズキは蚊だから、鯨にのみ込まれずに高く舞い上がれる」とかわした逸話も残る。
08年にGMとの提携を解消すると、09年には独フォルクスワーゲン(VW)との資本提携を決めたが、経営方針で折り合えず、15年に提携を解消した。同年、社長を長男の鈴木俊宏氏に譲った。
トヨタ自動車との業務提携の検討に入ることを発表した記者会見後、トヨタの豊田章男社長(左、当時)と談笑するスズキの鈴木修会長(当時)=2016年10月12日
ただ、自動車業界が自動運転などで「100年に1度」と呼ばれる変革期にある中、鈴木氏は単独での生き残りは難しいことを理解していた。最後に頼ったのは創業家同士が親しく、同じ静岡県西部を発祥の地とするトヨタ自動車で、19年に資本提携にこぎ着けた。
トヨタの豊田章男会長は27日、「日本の軽自動車を発展させ、国民車にまで育てあげた。私の憧れの経営者であり、憧れのおやじさん。ありがとうございました」とコメントした。