「世界一のDJ」とコメどころ・新潟のお米農家-。一見かけ離れた肩書を併せ持つ男性が、新潟県南魚沼市にいる。DJ界の最高峰と言われる国際大会を制したこの男性は、ヒップホップユニット「Creepy Nuts(クリーピーナッツ)」のDJ松永さん(新潟県長岡市出身)の師匠だ。
音楽イベント「長岡米百俵フェス」に出演した「Creepy Nuts」の2人。右がDJ松永さん=2020年10月、新潟県長岡市
Creepy Nutsは、2024年の音楽シーンを席巻した。2人は第66回日本レコード大賞の特別賞を受賞し、DJ松永さんが作曲した「Bling-Bang-Bang-Born」(ブリン・バン・バン・ボン)は「優秀作品賞」に選ばれた。大みそかのNHK紅白歌合戦に初出場を果たす。そんな人の師匠とは、いったいどんな人なのか。そして、なぜ農業の道を選んだのか。南魚沼市を尋ね、聞いてみた。
「Creepy Nuts」は、MCのR-指定さんとDJ松永さんの2人組だ。メジャーデビューを果たした2017年、全国ツアーを控えた2人が新潟日報社の取材に応えた動画が残っていた。(「新潟日報モア」は当時のニュースサイトの名称)
紅白歌合戦の存在を意識したフレーズは、デビューシングル収録曲「メジャーデビュー指南」の中にも、2021年の楽曲「土産話」の中にも登場する。その彼らが24年、実際に大舞台への出演を果たす。
「うれしいですよね。テレビとか、日本で有名なステージにことごとく松永が出ている。すごいなと思う」
南魚沼市にみぞれがぱらつく12月中旬、駒形宏伸さん(45)は弟子の成功を喜び、笑顔を見せた。この駒形さんこそが、DJ松永さんの師匠だ。駒形さんは「DJ CO-MA」として活動し、DJ界で最も権威があるとされる世界選手権「DMCワールドDJチャンピオンシップ」のバトル部門を2006年に制した。現在は南魚沼市で240年以上続く農家の10代目として、コメやスイカの栽培を手がける。
DJ松永さんに向け「今メッセージを送るとしたら、『弟子にしてください』かな」と笑う駒形宏伸さん
この日、駒形さんの声はかすれていた。数日前には、山梨県で国内最大級のコメの品評会「米・食味分析鑑定コンクール国際大会」の最終審査が開かれていた。集まった全国の農家との懇親会が白熱し、声が枯れたのだという。
駒形さんが出品したコシヒカリと新之助は、コンクールの国際総合部門で、最高賞に次ぐ特別優秀賞に輝いた。国内外の4736検体に及ぶ出品の中から、わずか25検体に贈られた賞だ。しかし、目指していたのはさらにその上。“世界最高”に当たる「金賞が取りたかった」と悔しがる。
「農業=ダサい」と思っていた少年が世界一のDJになるまで
コメ作りに情熱を注ぐ駒形さんだが、子どもの頃、農家は絶対になりたくない職業だった。農家の長男に生まれ、父親や周囲からは跡を継ぐことを期待されてきた。しかし、自分のお下がりの服を着て田んぼに出かけ、泥だらけで帰ってくる父親と、スーツを着て車で会社に出勤する友達の父親を比べた。農業は「ダサい仕事」に見えた。
陸上選手を志して石川県の大学に進学したが、大学3年生の時に挫折を経験。失意のさなかでDJに出合った。
遊びに行った友人の部屋に、レコードやターンテーブルがあった。友人がレコードをターンテーブルに載せ、手でこすると、1998年発売の宇多田ヒカルのデビュー曲「Automatic」冒頭の「ドゥクドゥクドゥク…」という音と同じ音がした。二つの楽曲を、まるで一つの曲のようにスムーズに繋いでいく。格好良さに衝撃を受けた。
「これだ!」と思うと、周りが見えなくなるという駒形さん。翌日持ち物のほとんどを売り払い、12万円ほどのターンテーブルを買った。友人から基礎を学び、DJの大会のVHSをすり切れるほど見て、技術を身につけた。
DJの活動にはお金が必要だった。実家に帰り、農業を手伝うようになった。しかし、頭の中では「農業1割に対してDJが9割」。農作業の間にアイデアがひらめくと、15分の休憩時間でも山を駆け下り、家に帰って試した。睡眠時間を削り、1日10時間以上を練習につぎ込んだ。
練習が実を結び、…