史上最多1406盗塁、「史上最強の1番打者」死去…82年シーズン最多130盗塁 7年連続盗塁王 – スポーツ報知

米大リーグで歴代最多の通算1406盗塁、2295得点を誇り「史上最強の1番打者」と称されたリッキー・ヘンダーソン氏が20日に死去したと21日(日本時間22日)、アスレチックスなどが発表した。65歳だった。死因は明らかにされていないが、一部メディアでは肺炎で闘病していたとされる。異色の左投げ右打ちの外野手で、計12度の盗塁王に輝いたリードオフマンがこの世を去った。

誰もが認める「史上最強の1番打者」が、25日の66歳の誕生日を目前にして生涯に幕を閉じた。1982年には、近代野球とされる1900年以降では最多のシーズン130盗塁。1979~2003年の25年間で9チームに所属した現役生活では、通算1406盗塁、2295得点、先頭打者本塁打81本などが歴代最多で、09年に米国野球殿堂入りした。

メジャーデビューして14シーズンプレーしたアスレチックスは「史上最高の野球選手の一人。彼の記録は永遠に球史のトップに立ち続けるだろう。オークランド史上最高の伝説的な選手。ファンにとって忘れられない足跡を残した。彼の死にショックを受けて心を痛めている」と声明を出した。

20歳だった79年にア軍でメジャーデビュー。80年には100盗塁で盗塁王に輝くと、7年連続で盗塁王をつかんだ。俊足だけでなく、身長178センチ、81キロと決して大きいとは言えない体格で通算297本塁打。通算2190四球も歴代2位で、敬遠を除けば歴代1位と選球眼にも優れ、出塁率は4割1厘を誇った。MVPは90年の1度だけだが、メジャー史に衝撃を残した選手の一人だ。

シーズン130盗塁、通算1406盗塁は塗り替えることが不可能ともされるメジャーの記録の一つ。今季、ドジャース・大谷が59盗塁をマークしたように、23年からはベースが巨大化されてけん制の回数も制限されるなど、走者に有利なルールに変更されていたが、ヘンダーソン氏は「そのままでよかったのに。もし導入されるなら、自分の記録に50、60盗塁を加えるべきだ」と苦言を呈していたとされ記録に誇りをにじませた。アスレチックスでは背番号「24」は永久欠番。尊敬を集めた歴代最高のスピードスターだった。

リッキー・ヘンダーソン(Rickey Henderson)1958年12月25日、シカゴに生まれ、オークランドで育つ。76年ドラフトで地元アスレチックスに4巡指名でプロ入り。79年にメジャー昇格し、左翼の定位置を奪うとB・マーチン監督の指導のもと、塁上を駆け巡り、次々と盗塁記録を更新。オールスター戦10度選出。シルバースラッガー賞3度、ゴールドグラブ賞1度。89年リーグ優勝決定シリーズでもMVPに選出された。左投右打。178センチ、81キロ。

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