「しんどいのは嫌いだったから…」陸上推薦で高校進学も1年で退部…元“根性ナシ”だった32歳の山本良幸が『SASUKE』で「黒虎のエース」になるまで photograph by NumberWeb
TBSが誇る人気番組『SASUKE』。1997年の放送開始以来、いまでは160を超える国と地域で親しまれている世界的コンテンツだ。人気の高まりと比例して、出演するアスリートたちへの注目も年々、高まっている。現在“ミスターSASUKE”こと山田勝己が率いる軍団「黒虎」のエースでもある32歳の山本良幸もそのひとり。何をやっても続かない「根性なし」だった男が、『SASUKE』の沼にハマったワケとは?《NumberWebインタビュー全2回の1回目/つづきを読む》
おかんが言った。
「よしゆき、これ何周目やねん。もうええで」
少年がテレビで繰り返し観ていたのは、TBSのスポーツバラエティ番組『SASUKE』を録画したビデオテープだった。戦隊ものにあこがれ、仮面ライダーを経由し、そのあこがれは小学校に入学する頃には超巨大アスレチックに挑む大人たちに移っていた。
学校から帰る。SASUKEを再生する。母親が夕飯の買い物に出かけて帰ってくると、家を出た時と同じ場面がまた流れている。大げさではなく同じ放送を100回は繰り返し観た。
「ほんまにちっちゃい時から家族全員が好きで初期から観てたんですよ。めちゃくちゃ記憶に残ってるのは山田さんの第6回大会ですかね。サードステージのパイプスライダーで落ちたあのへんから僕のSASUKEは始まったんです」
いまも記憶に残る山田勝己の「雄姿」
少年の名前は山本良幸。あれから25年近く経ち、32歳となった山本は当時を懐かしそうに振り返った。
2000年9月放送の第6回大会といえば、ミスターSASUKEこと山田勝己である。自宅にセットを自作し、職を失ってまでSASUKEに打ち込んだ番組の象徴的存在。最後の着地を決めればファイナルステージ進出というところで、着地台に飛び乗ったところで右にバランスを崩し、ころりと地面に落下してしまった。
「また観てるんかと言いながら家族もSASUKE好きを受け止めてくれてましたね。『思いっきりジャンプしなくてはいけないぞ。距離があります。だーー!!っと』っていう古館さんの実況を両親もテレビに合わせて一緒に言うみたいな感じで」
高学年になると友達と近所の公園でSASUKEごっこをして遊んだ。遊具をエリアに見立ててステージを作るのだ。こっちがファースト、こっちがファイナル、あそこがクリアのスイッチと決めて夕方まで走り回った。
ところが、その熱は中学に入ると一気に冷めていく。SASUKEの視聴回数は、「録画はしてたけど2回観たかな?」という程度になった。
もの思う春である。人にあこがれるよりも自分が主役になりたくて山本は陸上部に入った。SASUKEにあこがれ、地域の体操クラブで運動能力を磨いていたおかげで、才能は、あった。だが根性は、なかった。
「練習して強くなるっていうよりも、できるだけきつい練習は避けたい、技術とか楽にできるやつで勝ちたいと思ってました。思い切り走るのもしんどいのも嫌いだったから、走り高跳びをやってたんです」
誰に頼まれたわけでもないのにSASUKEの練習に日々邁進する現在。その姿からは想像もつかないが、それが当時の山本の性分だった。「跳躍力もあったんで、ポンポンとうまいこと大阪でも上位に行けました。中2のときには大阪で一番の成績を残せたんです。でも冬に練習しないもんだから、中3で全然記録が伸びなかった。それがめっちゃ悔しくって」
その思いを晴らすべく、高校は陸上の強豪校として知られる関大北陽に進む。しかし、ここでも山本を待っていたのは飛躍ではなく挫折だった。
「顧問の先生が見抜いていたんです。走ったり、メンタル部分だったり、根本的に僕に必要な部分を。でも冬の練習メニューがエグすぎて胃潰瘍になってしまったんです。朝練があるから5時半の電車に乗っていくんですけど、それもしんどくなってしまって」
中3の時に比べたら走力は大幅に上がり、跳躍力も自ら実感できるほど成長していた。だが、伸びていく成績とは裏腹に、体と心が悲鳴を上げた。
胃潰瘍の診察のために病院で初めて胃カメラを飲んだ時、激しい嘔吐反射でネガティブな感情が押し寄せてきた。そして思ってしまった。
「何のためにこれをやってるんやろ……」
練習に行くのが怖くなった。グラウンドから足が遠のいていった。
高1の2月、泣きながら顧問に退部を申し出た。申し訳なさでいっぱいだったのだ。「いつでも帰ってこい」。そう言ってもらったが、やはり復帰はできなかった。
打ち込んでいた陸上から離れ…山本は?
それから山本はどうしたか。
「……」
どうしたか。
「……もち食ってすごい太ったんですよ」
もう少し聞いてみる。
「きなこのもち。高2の時に砂糖まぶした安倍川もちの作り方を覚えて、アホみたいに毎日10個ぐらい食ってましたね」
58kgだった体重が62kgになった。初めて60kg台に達した数字を見た時になぜか危機感を覚えた。部活から離れて体を動かさなくなると、猛練習で築き上げた基礎体力がじりじりと落ちていくのも感じていた。そこでジョギングを始めた。苦手だったはずの長距離走は、続けていくとむしろ気持ちよさを感じられるようになっていく。体重は減って体力はついた。
そんなランニング中に脳内で勇ましくロッキーのテーマでも流れていたのだろうか。この頃の山本は「ボクシングをやってみたいな」と思っていたという。ところが、友達とスノーボードに出かけた時に頭を打ち、軽い脳震盪のような状態を味わって考え直すことになる。
「しばらく起き上がれなくって、ボクシングしたら毎回こんな感じなのかな?と。それでボクシングはあかんわ、となったんです」
どうにも方向性が定まらない山本だが、心中に期するものはあった。
「北陽は私学で学費もすごく高い中、陸上をやらせてくれと進学したのに中途半端になってしまってすごく悔しかった。やるせない思いを何かスポーツで絶対に返したいなと思ってました。ちょうどその頃に内村さんが出てきたんです」
あの内村航平に「俺、勝てるんちゃうか?」
内村さんとは内村航平のこと。特に知り合いではない。2009年、2010年と世界選手権を連覇し、日本体操界の新たなエースとして時代を築き始めた頃である。器械体操の経験ゆえか、そのニュースターの姿が山本の目に止まった。
「内村さんは出てきたけど、俺、勝てるんちゃうか?って」
進むべき道を体操と思い定めた山本。高3の秋頃から関大体操部の練習に参加させてもらうようになり、そのまま関大に進学して体操部に入部した。「大学から本格的に始めても全然勝てる競技じゃなかった」とすぐに気づいたものの、持ち前の運動能力で部内ではトップクラスの実力を誇った。4年生の時には主将も任された。
「2部で団体総合5位とかでしたけどね。個人としては、自分で言うのもアレですけど、大学からはじめた割には、そんな技できるの?と驚かれるレベルにはなっていました」
だが、引退が迫ると山本の中に強烈な喪失感が湧き上がってきた。
「え? これで終わるんか、俺のスポーツ人生?」
「結局、全日本とかオリンピックとか世界の舞台とか、一つも叶えられないで終わったやん」
現実に打ちのめされそうになった時、「あれ? でも……」と気づいた。小学生の時にビデオテープが擦り切れるほどみたあの番組のことを思い出したのだ。
SASUKEの番組当初からのキャッチコピーが『名もなきアスリートたちのオリンピック』。その出演者は「さまざまな職業の100人」とされている。まさに山本のような人に残された夢舞台であった。
山本は自らのひらめきに飛びついた。
「終わったな、俺のスポーツ人生。もう何もないんか」と打ちひしがれていたのが、「ちょっとちょっとSASUKEあるやん。忘れてたやんけ」とひとりツッコミを入れ始め、「SASUKEしかないやろ!」とがぜんヤル気になった。
当時のSASUKEといえば、山本より1学年上の「サスケくん」こと森本裕介が新しいスターとなっていた。それでも山本はたかを括っていた。
「森本さん強そうだけど、まあ勝てるやろ」
内村の時と同じ論法である。根拠はない。
「SASUKEで勝負する」と決めるも…出場への高い壁
しかも、思いついただけで出られるほどSASUKEは甘くなかった。毎回100人しかいない出場枠を何とかもぎ取ろうと全国の猛者たちが死に物狂いで努力しているのだ。
SASUKEに出る主な方法としては、書類選考を通過してオーディションを突破するか、予選会を勝ち抜くしかない。山本は在学中に初めて申し込んだが当然のように落選。社会人となり、住宅販売の会社に勤め始めてからも応募し続けた。書類選考がまるで通らないので、東京での予選会に参加したこともあったが、最終面接まで残ったものの結果は同じだった。
SASUKEへの出場が叶わぬまま、社会人になって3年が経った頃、山本は仕事の過酷さに耐えられずに会社を退職している。
「転職するのもストレスだし、一体何がいいんだろう、一生続けられる仕事ってなんだろうとすごく考えました。いろいろ模索した中で教員の仕事っていいなと思ったんです」
ところが、山本は在学中に教員免許を取得していなかった。そのため関大に戻り、2年間勉強し直した。その間、学校ボランティアの非常勤講師をしたり、親戚の材木屋の仕事を手伝ったりもしていた。
「材木屋の仕事はすごかったですね。一度いらないって言われたような木をキレイにして磨いてまた販売できるようにする。いらない木なのですっごい汚れてるんですよ。ゴキブリとかムカデがびっしりついてる。それを手で拭きまくるんです。あれは今思い出してもえぐいっすねぇ」
そうこうしているうちにSASUKEの方で転機が訪れる。山田勝己が若手育成を目的に結成した「山田軍団黒虎」に入ることになったのである。
<次回へつづく>
「SASUKE2024 第42回大会」
TBS系 12月25日(水)よる6時〜放送予定
https://www.tbs.co.jp/sasuke_rising/
文=雨宮圭吾
photograph by NumberWeb